早すぎるお別れ

先日、叔母の葬儀に参列しました。

母の妹にあたる叔母ですが、専業主婦として結婚後過ごした母とは大違いで、

叔母は亡くなるまで久留米市で有名な産婦人科看護士として活躍し、

仕事熱心で生涯独身でした。

プライベートも充実していて、毎年久留米市の水の祭典では

楽しそうにそろばん踊りに参加し、無邪気にはしゃいでいる姿が目に浮かびます。

54という若さであまりの早い旅立ちでした。
しばらく入院していましたが、本人は仕事のしすぎで、胃炎のためと言うので、

私たち家族はたいしたことないんだな、、、と安心してました。

しかし、ある日突然、衝撃の事実が私たちに伝えられました。

 

「私、実はがんでね、、、もう長くないと思うんだけど、

ほんと迷惑かけてごめんなさい。」

余命があとわずかという事実を寂しそうに話し始めました。

 

「そんな。。。」

 

私たち家族は呆気にとられました。

 

そして、数週間後、だんだん弱っていく叔母に家族全員が集められました。

 

「自分の葬儀のことなんだけど、、、協力してくれないかな?」

 

葬儀の段取りをあんたたちに手伝ってほしいとよ。」

 

そして葬儀の希望を淡々と話し始めました。

 

「そんな縁起悪いこと言わんでよ。」

母は言いましたが、それからも、自身の葬儀について叔母は前向きに話し、

なぜかその目は輝いており、死を迎える人の目とは思えないほどでした。

 

そして、それから1週間後、叔母は私たち家族に見守られながら、

静かに息を引き取りました。

 

式場は、以前、自身が会葬に訪れた事があったそうで、その時に、雰囲気がよくて、

感じがよかったから自分もここで、と決めてたそうです。

 

そして、紫色が好きだから、紫色の浴衣を着て、

お気に入りのウィッグをつけて、胸元には、

大好きな紫色のバラを1本入れて欲しい、

との希望もありました。

 

久留米絣の大好きな紫色の浴衣を病院スタッフに着せてもらい、

ウィッグをつけてあげました。

そして、母は紫色のバラを用意し、叔母の胸元に添えました。

 

会館では、葬儀社スタッフの手により、メイクが施されました。
また、叔母は、学生時代福岡市で生まれ育ったという経緯があり、山笠が大好きでした。

毎年7月に見に行っており、男性に生まれ変わって山笠に出たいとよく言ってました。

 

今年の山笠も楽しみにしていたいました。

なので、『祝いめでた』で送り出してあげたいという私たちの願いを葬儀社の担当に相談してみることにしました。

 

そこで、献奏曲として叔母へ届けみてはということでしたので、お願いしました。

遺影写真も自分で選んでました。

 

叔母は最後まで仕事人間であり、私たち家族にとってもとても誇らしいことでした。

そこで、来ていただいた方々に、看護師をしていた事がわかるようにと、

看護師姿の写真をいくつか葬儀社の方に拡大してもらい、式場に飾らせていただきました。

叔母の早過ぎる死に、私たちの悲しみは大変深いものでしたが

大好きな妹の意思をきちんと形にしてあげたいという母の想いが強く、

家族揃って、叔母の最後の希望を叶えてあげられたので、悔いはないです。