航空自衛官のおじいちゃん

航空自衛官のおじいちゃん

航空自衛官だったわたしの父。

普段はとても優しく愛情深い父でしたが、叱るときはとても厳しく、悪いことをすると、父のカミナリがすぐに飛んできてその度に姉と二人で泣きながら謝っていた子供時代を今でもよく思い出します。

退職後は夫婦ふたりで日本各地を旅行するなど今までにない自由な時間を楽しんでおりましたが、病に倒れ闘病生活を余儀なくされることに。72歳で生涯の幕を閉じました。

飛行機と旅行が大好きだった父。

祭壇にはミニチュアの飛行機を飾っていただき、父の自由な精神を表していただきました。

また、父の明るく気丈な性格から悲しいだけのお葬式をするのは父に合わないだろうということで少しでも明るい雰囲気を出すために洋花中心のオレンジ、黄色、ピンクを使った花で明るくしていただきました。またラインはピンポン菊で飾っていただきました。
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真面目で曲がったことが大嫌いだった父は仕事を休むことなど滅多になく、いつも楽しそうに出かけて行きました。

空に憧れて航空自衛官になった父は航空自衛官の任務に邁進し、長年に渡ってその功績が認められた結果、平成十七年には瑞宝単光章の叙勲を拝受することができました。

その時の父の誇らしげな表情は今も忘れません。この賞をいただくまでの道のりは、きっと多くの苦労もあったはずです。しかし、どんなときも父は弱音を吐きませんでした。

「辛いときも、元気なふりをする。そしたらいつのまにか本当に元気になっているよ。」が父のお気に入りの言葉で、私たち姉妹の高校受験や出産の時にもらった父の手紙には必ずこの言葉が書いてありました。

普段の父からは想像できないような素直な言葉もしたためられており、恥ずかしがり屋の父の、父の深い愛情を文面から感じとることができました。

私たちには温かくも厳しい存在の父でしたが、孫たちにはとことん甘く、並々ならぬ愛情を持って可愛がってくれました。

式の当日は父と古くから親交があったたくさんの方がお越しになられ、どの方も父の生前の毅然とした姿を懐かしく思い出されていました。

また「お父さん、いつも自慢の娘だって言っていたよ」などの生前の知らなかった父の言葉を伺うことができ、思わず胸が詰まる場面もありました。

知っていたようで、父の愛情は想像以上に計り知れない大きさであったことを実感し、感謝の気持ちで胸がいっぱいになりました。

 

お父さん、今まで育ててくれてありがとう。これからも私たちを見守っていてね。